もうすぐ10月というのに、いまさらながらの猛暑のウィークエンドでした。この(9月26日)日曜日に家族と娘の友達、4人でアーバインまで足を運びました。我が家からLAへ向かって1時間半ぐらいの道のりです。お目当てはJAPAN FAIRの中の黒澤明展です。この偉大なる映画作家は今年、生誕100周年を迎え、あちこちでイベントをしていると思うのですが情報がなかなか入って来ずでした!そんな時、このイベントのことを友人が教えてくれたので、行ってみたいと主人に相談、その後家族を巻き込んでの週末の我が家のイベントと化しました。(^^)
なんとお世話になっている日米メディア協会の主催だったというのがあとでわかりました。会長の朝倉さんとバッタリ出会ったからです!去年から開催し今年は2年目。ちなみに去年は約1万人が来場したとのこと。日本をアメリカに紹介するのにはもってこいのイベントですね!^^
JAPAN FAIRイベント会場前で家族と!
広い公園一帯をイベント会場にしてお祭りの出店が立ち並びど真ん中はステージ設営、和太鼓あり
ショーあり、いろんな催し物をしていました。その入口の右側におめあての黒澤明コーナーがありました。
簡易建物のなかに貴重な監督の手書きの絵や写真、監督が着ていたコートまで展示してありました。そして一番、目を引いたのはジョン・ヒューストン(John Huston)監督の写真。彼は「マルタの鷹」や「アフリカの女王」「黄金」などハンフリー・ボガードと一緒に組み数々の名作を生んだ監督さんです。
黒澤さんがアカデミー賞の特別監督賞を授与された時の彼の紹介スピーチの原稿がこの写真と一緒にかざってありました。こんなことが書いてありました。
ジョン・ヒューストン氏のスピーチの和訳
黒澤明氏について私が今更何を言えましょうか?あのアカデミー賞のとき、ステージで彼の隣に立った時そのことについて考えました。黒澤さん!あなたについてまだ言われていないことことを私が何を言えましょう?
あなたはたぶんこう言うでしょう。「言いたいことは全てスクリーンの中にある。」では何がスクリーンの中にあるのでしょうか?27本の映画、ライフワーク、恐れや妥協に限らない人間の限界、そのライフワークに匹敵する監督は少ない。1943年の「姿三四郎」から1950年の「羅生門」52年の「生きる」54年の「七人の侍」61年の「用心棒」1980年の「影武者」そして1985年の「乱」に至るまで、あなたは力強く、まっすぐに主張してきました。古い標準の上に立ち新しいレベルを築きながら…。
あなたの27本の映画のひとつひとつが世界中の観客のひとりひとりによびかけてきました。文化的国境とは関係なしにあなたのメッセージはあらゆる所のすべての人々のものです。
黒澤さん、人は他の方面も見なければなりません。映画分野の領域を越えたところのあなたの作品と比較できるもののために。人はシェークスピアの戯曲を見なければなりません。ドストエフスキーの小説を…ヴェアディのオペラを…ベートーベンのシンフォニーを…。
黒澤さん、この最高の芸術家の小グループの中に我々は自信を持ってあなたの名前をここに加えます。米国監督協会ゴールデン・ジュピリー(五十周年祭)特別監督賞受賞を授与されるにあたって私があなたのこのステージにお呼び出来ることは光栄の至りです。みなさん、黒澤明氏です!
1986年3月24日 ジョン・ヒューストン
黒澤明展の会場前
当時の映画のポスター
監督の描いた絵(カットコント)
ジョン・ヒューストンのスピーチ原稿
黒澤明監督の手紙
監督が着てたとおぼしきコート
ルーカス、スピルバーグの背より高い180cmの監督!
黒澤明監督の偉大さを再確認できた1日でした!