1/20/2013

船堀映画祭の新年会に参加しちゃおう!


寒中お見舞い申し上げます。2013年もシネマDEりんりんをどうぞよろしくお願い申し上げます。

2013年初のシネりんは毎年の恒例では新年会ですが、今年は船堀映画祭の新年会にみんなで参加しちゃおう!という企画でいきます。

去年、第4回目を迎えた船堀映画祭は大盛会に終えました。映画好きの地域貢献型イベントとしては今後も息の長い、誰からも好かれるお祭りになっていくと思います。去年は淡路恵子さん、竹中直人さん、目黒祐樹さんなど素晴らしいゲストもご参加されていました。船堀映画祭のご厚意でシネマDEりんりん枠も作っていただいていましたのでこちらも大いに盛り上がりました。


ご参加予定の方、お楽しみにお待ちくださいませ。

【日時】=1月21日(月)午後6時30分~
【開場】=タワーホール船堀2階「松」(昨年と同じ会場です。規模50人~)。
【会費】一般2500円(実行委員・スタッフは2000円)

なお、会場は持込、差し入れも大歓迎です。

また、プロジェクターもご用意しておりますので、
予告編など短めのDVD映像を上映できます。
ご希望の素材がありましたら、お持ちよりいただければ幸いです。

船堀映画祭事務局:西村、徳田(幹事) 


こちら参加申込締め切りは15日まででしたので〆切りました。

1/17/2013

シネりんメンバーがやってること!東北へのボランティア

今年最初の投稿にふさわしいブログネタを探していたところ、偶然にもわがシネりんメンバーの田中さんが行っている被災地でのボランティアについてのまとめ考察がFacebookに投稿されていたのを発見!

これがあまりにも素晴らしかったのでご本人の了解を得て、ここに転写いたしました。今回はアメリカや映画ネタではないですが是非ご一読くださいまし…!




新年最初の東北復興支援ボランティアを終えて、今の想いを書いておこうと思います。
とても長くなってしまいましたが、一読いただけると嬉しいです。

【きっかけ】
2011年5月のゴールデンウィークに初めて陸前高田の街で活動し、その惨状を目の当たりにして「これはゴールデンウィークや夏休みなどの突発的な活動では絶対に終わらない」と思い、仲間を集めてボランティアへ定期的に行くことを決意しました。

おそらくボランティアは2年は必要とされるだろう。2年もの長丁場を継続的に活動し続けるには、毎週では絶対に無理が出る。せめて月に1回くらいという心持ちにしないとダメだ。
当時そう判断し、今のような最低月1回、希望する人がいれば2回でも3回でも、というスタイルにしました。

【~2011年夏】
震災から半年までは、多くのボランティアたちが現地で活動していて、津波の影響が色濃く残る家屋で様々な作業を行いました。
怪我の恐れのある危険な現場や、腐敗した食品で悪臭を放つ現場、夏はハエが大量発生している状況だったりと、過酷な状況が続きました。
それでも、ボランティアたちは進んでそういった現場に入り、黙々と作業をこなし、何事も無かったかのように去っていきました。あの当時のボランティアの人たちは、全てにおいて被災地・被災者を優先した、すばらしい人たちばかりでした。
また宿泊はテントが基本。東北と言えども早朝から暑く、体力的にも大変な時期でした。

【2011年秋~2012年】
夏が過ぎるとボランティアの数は減り、また、ボランティアの質に問題の声が聞かれるようになりました。
これは、当初から活動されている人ではなく、被災地が落ち着いてきたからボランティアに初めて来た、という人が増えたためのようです。

秋からは、半壊のお宅を再建する方々や、仮設住宅に移り住む人たちが増え、生活のために急を要する現場はほとんどなくなりました。
逆に増えたのが、家屋を重機で解体した後に、機械では拾いきれないものを人の手で拾い集める作業。
土の中から、茶碗や衣類など様々な生活の痕跡が出てきます。その度に「この茶碗を使っていた方は今どうしているのか」など複雑な想いがよぎります。
でも私よりも、そこに住んでいた方がそういったものを見るのはもっと辛いことでしょう。
だからこそ、我々のようなよそ者がやるべきだと思って、時には雪の降る中、作業を続けました。

【2012年春~】
震災から一年が経った2012年の春からは、基礎だけになった街で細かな瓦礫を拾う作業が多くなり、しかし時には産業支援という形で漁師さん、農家さんのお手伝いもしました。
産業支援は複雑な側面を持っています。しかし、働き手を失ったり、新たな雇用を生み出せる状況にない現実では、街が活性化するまでは我々のようなボランティアが必要なのかもしれません。

瓦礫撤去の作業の現場も、生活に密着した場所から、生活と少し離れた、しかし人々の目には入る場所へと変わっていきました。
我々ボランティアが行っているのは、直接的には瓦礫撤去という、破壊された街の残骸をなくす作業です。
しかしそれは同時に、過去の忌まわしい記憶がよみがえるきっかけとなるものを除去し、新たな一歩を踏み出す勇気が出る風景を作り出す、そういった作業であると思っています。

【2012年秋~】
宮城県北部から岩手県南部の街を見ていると、この頃から建物の取り壊しのペースが加速してきたように感じました。
震災前はおそらく多くの建物が立ち並び、遠くの景色なんて見えなかったはず。
そして、相も変わらず瓦礫撤去をする我々ボランティアがいる。
ゼロの状態にすら戻っていない、そう思うことがしばしばあったけど、ところどころにプレハブだけど新しい建物が建ったり、営業するお店が増えたりするのを見て、なんだか嬉しい気持ちになりました。

そして今、震災から2年という日が近づいています。
当初考えていた区切りの2年。
ところが現地へ通っていると、「まだ2年」であることを感じざるを得ません。
私が他の支援に手を出さず、いまだに瓦礫撤去を必要としている街で活動しているのも、そういった感覚があるからです。
活動着は、2011年5月に始めたときと同じ。「初心忘るべからず」と思い、ずっと変えていません。
また、我々のグループは少人数のため、多くの人が集まるところへ行ってもあまり意味がありません。日に5人しか集まらない現場に、我々が5人で行けば倍の数になり、10人いれば多くの現場は作業が成り立ちます。50人いる現場に5人増えたところで、あまり効果は無いでしょう。

こんな風に細々と活動を続けてきて、徐々にその役割も終盤にさしかかっているのかと感じ始めた矢先、一昨日の活動現場は震災後ずっと放置され、初めて片付けの手が入った場所、昨日の現場はようやく区切りをつけて遺品を整理することになったお宅。
まだまだボランティアがやれる現場がある、そう感じた二日間でした。

「我々ボランティアは風である。時が来れば何事も無かったかのように去っていく。」
NPO代表の方の受け売りですが、私はこの言葉の重みを日々感じています。
街はそこに住む人が作り上げていくもの。その基盤づくりのお手伝いを少しだけして、私たちは去っていく。
その日を目指して2013年を過ごして行こうと思います。